IKEBANA 写真館

今(2004年9月現在)からちょうど6年前、私は生け花を習い始めました。流派は池坊。自分の美的センスを養うことが出来ればという理由からです。
まだまだ腕は未熟ですが、その成長を紹介していけたらと思うとともに、自分に良い刺激を与えられればと思い、このようなページを作りました。

自然は、私たちに様々なものを与えてくれます。美しい感動、美へのひらめき、さまざまな暗示。

人が創りだせないもの、予期することのできない偶然の姿、形など、

花をいける行いのうちに、美しいものをうみだす心が導きだされます。(池坊花伝書より)

    ●生け花を考える

・・・しかしながら、生け花は、生きているものの命を絶つところから始まるのです。つまり、切り花を材料として使っているからです。根から切り離された時点で余命一週間と宣告されたようなものです。

ところが、この最後の一週間(花の種類にもよるが・・・)で、見事な生命力を見せてくれるのです。やはり、人工的な造形物とは違うんだと実感させられます。具体的にいうと、つぼみをしっかり咲かせてしまうということでしょうか。それだけでエネルギーを感じずにはいられません。更に、これだけでは止まりません。生けた時点と一晩おいてからとでは、花の表情が違うということです。一晩おいてからの方がしっくりくるのです。各々のいちばん良い体勢に変化しているようにも見えます。やはり生ものなんですね。

その生け花も、昔は仏壇に生けるために始まり、今日ではお飾り、芸術作品というレベルのものに進化を遂げました。様々なイベントにおいても、必ずと言っていいほど見受けられます。そうなると美しさというものが最大のテーマになってきます。どうすれば美しく生けられるか・・・その技術そのものが生け花に含まれます。

簡単にいうと、‘花材のもつ要素(点・線・面・塊など)・色彩を用いて美しく配置する’ということです。‘点’というのは、一輪の花で表現したり、小さな花で散りばめるような使い方が多いです。‘線’は直線もあれば曲線もあります。木の小枝などを使って表現します。‘面’は大きな葉を使うことが多いです。‘塊’は房状の草花や小さな一輪のものを寄せて表現します。それらの要素のなかで、“美しい”、“素敵だ”と感じたものを選んで創っていくわけなので、“究極の美”を表現すると言っても過言ではないでしょう。実際、少し手直しをてもらっただけで全く違う表情になったり、他の要素が生きてきたりするわけで、時間をかければかけるほど、みるみる良くなっていくのが、はっきりとわかるからです。あるていどの妥協も必要なのかなと思ってしまう時もありますから・・・

そういう意味では、フラワーアレンジメントも同じなのかも知れませんが、やはり違いがあるようです。フラワーアレンジメントが‘足し算’であるのに対し、生け花は‘引き算の哲学’であるとおっしゃった方がおられました。つまり、生け花では、いくつもの空間があり、その空間を生かしているということなのでしょう。

以上、このようなことを意識して鑑賞てもらうと面白いと思います。

 

  ●分類

立華

 

池坊の長い伝統のある代表的な生け花。
多くの草や木が、互いに競い、あるいは協和してつくりだす興趣を、序列をもって呼応反撥する、七つあるいは九つの主枝のみごとな構成によってつくりだします。

 

 

生花

 

立華を簡素化し、三つの主枝で構成されます。
大地に根をつけて生いたつ草木が、大気の中でみせる生命の力を表現します。つまり、自然のままの美しさをそのまま花器のうえで表現します。

 

 

 

投入

 

明治に入って生活環境の洋風化にともない、新しい暮しの生け花として立華や生花よりも自由な生け花として様式化したものです。
三つの役枝を中心に構成し、草木の表情をさりげなく写実的に表現します。

 

盛花

 

投入と同じく明治に入ってからの生け花で、草木の自然の姿を大切にしながら、盛るように立体的な構成をします。
畳から椅子への生活様式の変化により、テーブルや棚の上の花として高さよりも横への広がりや量感のある生け花の必要性から生まれたものです。

 

自由花

 

花形、形式など、定められた約束はなく、草木の自然の美を生ける場合の他に、ものとして、オブジェとしてあつかう場合もあります。現代的な感覚により、自由な発想によって創られる創作的で個性的な作品です。

 

  ※池坊花伝書より引用

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